東海道五十三次 ~史跡~

2021/5/2 平野 拓一

一里塚

1604年(慶弔九年)に徳川幕府が江戸日本橋を起点に一里(3.93km≒4km)ごとに築いたのが一里塚です。一里塚は道路の両脇に土塁を盛って中央に木を植えたもので、距離の目安になるだけでなく、旅人は木陰で休憩することができるようになっていたそうです。木の種類は松、榎(えのき)、欅(けやき)などだったそうです。現在ではかなりの場所で開発されて無くなっています。一里塚跡の案内板があったり、再現して保存しようとしている場所もあります。岩淵の一里塚は枯死してしまったものの、後で植樹して一里塚は道路の両脇に残っています。笠寺の一里塚と野村一里塚は片側のみですが、木も当時のものが残ってます。

場所 写真 説明
岩渕の一里塚
(静岡県)
両脇に一里塚が残っています。奥川(東側)は虫害で枯死したため、植樹したものだそうです。
笠寺の一里塚
(愛知県)
江戸時代からのものが片側だけ保存状態良く残っています。榎が植わっています。
石薬師の一里塚跡
(三重県)
倒木したため、近くに復元したものそうですが、榎の枝が広がり、夏は広い木陰を作り、当時の雰囲気が想像できます。筆者は本当に一里塚の木陰がいい休息場所になりました。
野村一里塚
(三重県)
片側のみですが、江戸時代から現存する一里塚で、樹齢400年の椋(むく)の木が植わっています。

常夜燈(常夜灯)

街道には夜も人通りがあるため、常夜燈が点在しています。その多くは石で出来ており、「秋葉山」と彫られたものが多くあります。当時は木造家屋で、照明には火を使っていたから火事はよく起こっていたようで火事を防ぐための信仰、秋葉講(講とは江戸時代に流行った信仰集団。他にも庚申講、富士講、大山講などいろいろある)が流行ったそうです。秋葉講は静岡県浜松市の秋葉山にある火防(火伏、ひぶせ)の神を祀る秋葉神社を信仰する講です。東海道沿いにも小さな秋葉神社が点在しています。現在の電気街・オタクの聖地「秋葉原(あきばはら→あきはばら)」は昔この秋葉神社の火防の効果にあやかって名付けられた地名だそうです。

場所 写真 備考
桑名宿付近
(三重県)
「常夜燈」と彫られています。これは常夜燈であることは見てわかるから、あえて彫らなくても・・・ならば信仰機能も搭載してしまおうか、と「秋葉山常夜燈」が出来たのではないかと想像できます。
舞坂宿
(静岡県)
新町常夜燈。1815年建立。「秋葉大権現」と彫られています。
他にも「秋葉山」、「秋葉神社」と彫られたものもあります。
典型的なデザインの常夜燈です。
岩淵
(静岡県)
「秋葉山」と彫られた常夜灯。
国府
(静岡県)
円柱型のデザインです。
「秋葉山」と彫られています。
1800年建立。
菊川
(静岡県)

金属で出来た常夜灯です。
珍しいですが、昔江戸時代のものかどうかわかりません。
新屋の
秋葉山常夜灯
(静岡県)
保存状態が良く、珍しい木造屋形常夜灯。
1828年建立。
信仰用にも使われたそうです。
宮之一色
秋葉山常夜灯
(静岡県)
  木製の建物を風よけにしているそうです。
「竜灯」と呼ばれる竜の彫刻があります。
1828年建立。
横田渡常夜燈
(滋賀県)
横田川(野洲川)の渡しの両岸にある大きな常夜灯です。
1822年建立。
万人講常夜燈
(滋賀県)
鈴鹿峠の頂上にある大きな常夜燈です。
四国金比羅神社の燈籠で旅の安全祈願にも使われていたそうです。
1740年頃建立。
仏式常夜灯
(静岡県)

岡崎にある仏式常夜灯です。火災防止の祈願から遠州秋葉山永代常夜燈として建立されたそうです。痛みがひどく危険なので、宝珠の彫刻を残して保存したそうです。上の写真で紹介している常夜燈の最上部を見ると、宝珠の形をしているものが多いのがわかります。

地蔵・道祖神・庚申塔・道標などの石塔

いろいろな石碑がありますが、当初の目的はいろいろ異なっています後にそれぞれの目的の石碑が融合したりして、機能性を求めている様子が見られます。上の常夜燈との融合も見られます。また、講を通して当時の生活を想像することができます。例えば庚申講を考えてみると、集会をして地域交流(懇親会)をしたかったのではないかと想像できます。

場所 写真 備考
無縁塚
(神奈川県)
八丁畷の無縁塚。
江戸時代は現代のように電話や車などの交通手段がないから、旅の途中で命尽きた人々がいてもどこの誰だかわからず、そのような人々を葬った場所ということです。
馬頭観音
(神奈川県)
仏教の菩薩の1つで、名前に馬がついているから馬の守り神、供養などにも意味が変化したそうです。
馬頭観音
(静岡県)
馬頭観音は上のように「馬頭観音」と文字のみ彫られたものもありますが、このように馬頭観音の頭の上に馬の頭が彫りこまれたものもあります。
庚申塔、馬頭観音、供養塔
(神奈川県)

これは投込塚之跡。
異なる目的の石碑はが同じ場所にあることも多く、合体した石碑が作られることもある。

(神奈川県)
神を祀る小さな石塔。中にはなにもないこともある。これは山王祠で、鬼門除けとして建立され、昔は中に庚申塔があったそうです。
道標+庚申塔
(神奈川県)
道標+庚申塔の合体版。
庚申塔
(神奈川県)
江戸時代に流行った庚申講の石碑である庚申塔群です。

【庚申塔について】
庚申は干支の十干の1つの庚(かのえ、意味:金)と十二支の1つの申(さる、意味:猿)で、日では10×12=60日の周期となっています。庚申信仰は、中国の道教が伝わったもので、体内に三尸(さんし)の虫(3匹の虫)が住んでいて庚申の日の夜に天帝に人間の悪行を言いつけに行くので、庚申の日は眠らず夜を明かすようにするという行事があります。集落などで集まって飲み会でもしていたと想像されます。これを3年間、18回続けたら1つの庚申塔を作っていたということです。

庚申塔のデザインは4つの腕がある青面金剛(しょうめんこんごう)が三猿(見ざる聞かざる言わざる)を踏みつけているものが多くあります。申は猿なので、3猿を三尸の虫に見立てていたそうです。他にも月や鶏(にわとり)が彫られているタイプもあります。鶏が彫られているのは十二支で申(猿)の次は酉(鶏)だからだと思われます。月は夜を意味していて、夜を明かして酉になる・・ということを意味しているかもしれません。
地蔵
(愛知県)
地蔵は供養、信仰のための石碑。道標としても機能していたことが想像できます。
地蔵
(神奈川県)
これはおしゃれ地蔵で、目的を特化して作られたり、後で特化したりしたりするものもあります。1基に男女が彫られているので、元々は道祖神で、後からおしゃれ地蔵の名に変わったのではないかと思われます。
道標+不動尊
(神奈川県)
道標と不動尊が合体した石碑。これは四谷不動(大山道標)。
1678年建立。大山道は大山講の信仰のため、神奈川県の大山の阿夫利神社(雨降神社)に向かうための道。東京都世田谷区の三軒茶屋駅にも大山道標があります(リンク)。
道祖神
(神奈川県)
峠、辻(分岐点)、村などに魔除けとして置かれた石碑。「道祖神」と彫られた石や、1基に男女が彫られた石碑が多い。
牛頭観世音菩薩
(静岡県)
馬頭観音から派生したものと思われます。馬頭観音はやはり馬の供養という意味に変化したことが伺えます。

牛頭(ごず)観音は珍しいのですが、奥多摩(奥多摩駅→小河内ダムに向かう道)にもあります(奥多摩の牛頭観音の写真(牛の頭が彫られています)、説明板)。
秋葉神社
(静岡県)
常夜燈で説明したように、「秋葉神社」の分祀になります。火事を防ぎたかったことがわかります。
句碑:鶏頭塚
(静岡県)
江戸時代の俳人・太田巴静の俳句「曙も夕ぐれもなし鶏頭華 巴静」が刻まれた碑で、これが鶏頭塚の由来となったそうです。この句の意味としては、ケイトウの花は赤や黄色など様々な暖色があるので、曙にも夕暮れにも見えるという意味でしょうか。
馬頭観音、牛頭観音、そして今度は鶏頭観音(にわとりの供養)か・・と思ったけど、これはどうも意味が違うようです。街道沿いには句碑も多く残っています。
道標
(静岡県)
道標(どうひょう、みちしるべ)は街道の交差点(辻)におかれ、分岐点で旅人がどちらに進めばよいか案内するための石碑です。
力石
(三重県)
昔、力比べに使った石だそうです。
みよと石
(三重県)
三重県は石への信仰が厚く、鈴鹿峠などの落石被害を防ぐために祀っていたのではないかと想像できます。鳥居の中央、道路にも石があります。
傍示石・山神の石塔・常夜灯
(三重県)
傍示石(ぼうじいし)は領土境界を示す石碑です。「山神」と書かれた石塔もあります。柳田国男の「遠野物語」にも書かれているように、東北地方(岩手県)にも多くの「山神」の石碑があります。この文化は日本全国同じなのか、この辺から移住して文化を運んだのかわかりませんが、山の多い地形と関係はありそうです。
転び石
(三重県)
鈴鹿峠へ向かう道の入り口にある石です。山から転がってきた石が鳴いていて、僧侶が鎮めたという言い伝えがあるそうです。
石の祠
(三重県)
庄野宿~亀山宿間にあります。他にも石を祀った祠がいくつかあります。
地蔵
(滋賀県)
土山宿付近の地蔵です。顔が白く、石も祀られているのが特徴的です。
地蔵
(滋賀県)
水口宿付近の地蔵です。石らしいのが特徴的です。

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