東海道五十三次 ~峠・坂道~

2021/5/2 平野 拓一

場所 写真 説明
箱根峠 かなり多くの石畳の道で、江戸時代の石畳も残っています。石畳にした理由は、雨のときにぬかるみになって歩きにくかったからだそうです。ちょうど梅雨時の雨上がりの日に歩いたのですが、本当に小川のようになっていて、石畳の間を水が流れていて、雨上がりには石畳がないと歩けないのを実感しました。ただ、滑るので、1度滑って転びました(いかにも滑りそうなので、想定して歩いたから大けがはしませんでした)。

ここで明治時代にニホンオオカミを絶滅さてたそうです。今では後悔すべきことだけど、当時は狼が恐ろしかったのがわかります。

箱根関所もあり、お玉が池も残っていて歴史を伝えています。大名の奥方を人質として江戸に住まわせていたので、女性は江戸に入るのは比較的簡単だけど、出るのは難しく、許可なく脱出したら厳罰(処刑)だったそうです。
薩埵峠 薩埵(さった)峠ではみかん畑と海が綺麗に見えます。天候がよければ富士山も見える東海道のイメージ通りの場所です。
蔦の細道・宇津ノ谷峠 蔦(つた)の細道はかなり古くからある細い山道です。平安時代の「伊勢物語」にも書かれているようです。その後、江戸時代には隣の峠越えの少し緩やかな道になり、明治時代には江戸時代の道の下を通るトンネルが彫られ、さらに大正時代はその隣に道幅の広いトンネルがつくられています。いろいろな道をみるために暑い夏に行ったり来たりして疲れました。
金谷坂の石畳 小夜の中山に登っていく道です。上からは大井川が見渡せます。
小夜の中山峠 小夜の中山(さよのなかやま)は茶畑が続く綺麗な峠です。「夜泣き石」があり、人の少ない寂しい場所は追い剥ぎや盗賊も旅の危険因子だったことがわかります(蔦の細道、鈴鹿峠も同様の話がありました)。
潮見坂
新井宿~白須賀宿間にある、白須賀宿付近で海沿いから上る坂道です。安政元年(西暦1854年)に発生した安政東海地震があって、大津波で下にあった橋がこの坂の上まで流されたそうです。島崎藤村の小説「夜明け前」にも「今度の大地震が関西地方にことに劇しかったこともわかった。東海道岡崎宿あたりへは海嘯(つなみ)がやって来て、新井の番所なぞは海嘯のために浚われたこともわかって来た。」と書かれています。
鈴鹿峠 鈴鹿峠には鏡岩があり、昔山賊が岩に映る通行人を見て窃盗を行っていたという話が残っている。

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